アルコール・薬物・その他の依存問題を予防し、回復を応援する社会を作るNPO法人「ASK(アスク)」の情報発信サイト

ASKの活動

ASK40年の活動 7つの成果と課題

 

2023年6月24日に開催したASK40周年オンラインイベントは、回線が不安定で、Zoom視聴がしづらい状況がありました。参加された方々にお詫びいたします。
お見せできなかったスライドもかなりあるため、当日の録音と構成台本をもとに、記事として再構成し、ホームページに掲載することにいたしました。ゲストのお話は、要点をコラムにまとめています。(ASK)
※画像はクリックすると拡大されます。

 

――司会の塚本堅一です。ASK40周年記念トークイベント、代表・今成知美とゲストのみなさまとのトークで、「40年の活動 7つの成果と課題」を振り返っていきます。では今成さん、お願いします。

ASKの40周年記念オンラインイベントへのご参加、ありがとうございます。
40年を1時間ちょっとで振り返る、アクロバットな企画です。

このスライドは、アルコール関連問題に取り組む民間団体を設立年順に並べたリストです。
ASKは1983年に誕生しました。呼びかけたのはアルコール依存症家族で、私もその一人です。
全断連ができて20年目でした。
当時私は20代後半。必然的に今、60代後半にさしかかっています。

 

ASKは草創期から、発生・進行・再発の3つの予防に同時に取り組んできました。これは実は、世界的にもめずらしいことなんです。
テーマはアルコールからスタート、薬物に広がり、2017年に定款を改定して、依存症関連問題全体に取り組むようになりました。今日は、この3つの予防を、頭の隅に置きながらご参加ください。

 

1.広告規制・自販機撤廃・表示〔発生予防〕
――消費者団体との連携

――1つ目は、広告規制・自販機撤廃・表示、1次予防のソーシャルアクションがテーマです。
そこには、消費者団体との密な連携がありました。ゲストは、元・主婦連合会事務局長の佐野真理子さんです。

しょっぱなはこれ。サントリーのペンギンのビールです。覚えている人いますか?
ペンギンの絵樽は大人気で、幼稚園の子どもたちが親にせがんで、遠足にこのボトルを持って行きました。テレビCMはペンギンのアニメで、歌は松田聖子さんのスイートメモリーズでした。
ASK設立の翌年、四畳半の事務所を借りた頃のことです。
サントリー本社に行き、子どもにアピールしていると抗議しました。当時、社員の方たちは胸にペンギンのワッペンをつけていて、キョトンとしていました。全く意識がない時代でした。

その後、さまざまな問題で酒類メーカーに申し入れを繰り返すうち、大きな前進がありました。
メーカーに、アルコール関連問題の担当セクションができていったのです。各酒造組合での情報交換や話し合いも始まり、1988年、酒類業界が共同で、「酒類の広告・宣伝及び酒類容器の表示に関する自主基準」を定めます。その後は何度かの申し入れで、基準が改定されるという流れになりました。
大きいのは業界内で動いてくれた人たちの存在です。話を聞き、これはまずいと自分が判断すると、持ち帰って社内を動かす。業界内の市民運動と言っていい動きでした。
忘れられないのは、ある担当者の言葉です。
「企業がまずいことをしたら言ってください。そして、いいことをしたときは誉めてください」
なるほど、と思いました。文句ばかり言われていたらやる気が出ない。改善してくれたら誉めてモチベーションを上げるのは大事なことです。
これは、ASKのアクションのモットーになりました。

さて1990年代、酒類自動販売機は全国に20万台もありました。
撤廃の署名運動をやりましたが、効果はありませんでした。
ある日、ASK理事の浅野晋弁護士から、「自販機が道にはみ出してる」と電話がありました。
マニュアルを作って、調査をやろうということになり、アルコール、タバコ関係の団体と、消費者団体が結集。合同で千代田区全域を調査したところ、自販機の7割が道にはみ出していたのです。
主婦連合会とのタイアップは、この活動から始まりました。
調査をもとに告発したところ、警視庁が動いてくれて、はみだし自販機は一掃できました。ところが、薄型自販機が広まってしまったのです。

同じ頃、別の動きがありました。
1991年に、WHOのアルコール部会が東京で開催されたのです。
世界の委員が、東京の街にあふれるお酒の自販機に驚きました。
最終日に出たWHOの勧告文の中に、「自販機の禁止」という言葉がありました。
「風」が吹いたのです。ASKもがんばってロビーイングしましたが、このときアルコール部会の委員をされていた久里浜の河野裕明院長の粘りが大きかったです。
この勧告を契機に、2000年、酒類自販機は自主撤廃へ(ただし法規制ではないので強制力はなく、いまだ11,468台が残存。国税庁は毎年数を報告しています)。
そして時代は、お酒はコンビニやディスカウントショップ、通販で買う時代へと転換していきました。

1990年代、チューハイ(低アルコールリキュール)ブームの中で、清涼飲料だか、お酒だかわからないものが続々出てきました。
親が果物味のチューハイを買って冷蔵庫に入れておいたら、子どもがジュースと思って飲んでしまったという、誤飲問題も起きました。
国民生活センターが問題を指摘し、公正取引委員会が動いたことで、2000年に洋酒酒造組合が「酒マーク」を制定します。2002年には、果物の絵や写真の大きさ、パーセンテージの表示も規定されました。
表示問題は、主婦連が徹底して活動してくださいました。

表示の混乱はその後も続きます。
酒マークは洋酒酒造組合の基準だったため、新ジャンル(ビール風味の低アルコールリキュール)にはマークが付いていましたが、ビール酒造組合が管轄するビールと発泡酒には付いていませんでした。
その頃、ノンアルコールビールも登場し、家庭の冷蔵庫の中でまったく見分けがつかない状況に。
そこで、主婦連とASKは、チューハイなど低アルコールリキュールだけでなく、お酒すべてに酒マークを付けてと申し入れ。アルコール分10度未満のものには酒マークを付けるという項目が、酒類業界全体の基準に入りました。

その後も、空間をジャックする交通広告で一緒に申し入れ。2005年に自主基準に入りました。
酒類業界の自主基準の中身は、このような申し入れの積み重ねでできあがっています。

2013年、アルコール健康障害対策基本法が成立。翌年招集された「アルコール健康障害対策関係者会議」には、酒類業界の代表も委員として参加していました。
2016年、第1期基本計画策定の会議の席上、テレビCMに関して大きな発表がありました。飲酒欲求を煽る「喉元アップとゴクゴクの音響をやめる」。加えて、「登場人物は25歳以上にする」にするというものです。大きな前進です。

ただ今も、飲んだあとの「ぷは~ぁ」は残っています。海外のCMのように「飲酒シーンはなし」にしてほしいです。また、SNSの広告にも基準が必要など、課題は尽きません。
ソーシャルアクションを含めたASKの活動は、ホームページのASKのあゆみに時系列に随時更新しています。

ASKのあゆみ
https://www.ask.or.jp/article/119

酒類業界の自主基準
酒類の広告・宣伝及び酒類容器の表示に関する自主基準
http://www.yoshu.or.jp/statistics_legal/legal/pdf/independence_01.pdf

 

佐野真理子 氏

元・主婦連合会事務局長

 

私が消費者団体に入って最初に取り組んだ活動が、「はみ出し自販機」でした。
以来、ずっと消費者団体にいて、お酒以外の企業に申し入れて1つのことを変更してもらうのに、10年、20年かかるのを経験してきました。
ところがお酒の場合は、すごく早く私たちの意見を取り入れてくれた。そこは私自身、運動していてうれしかったです。
申し入れた内容を、メーカーがわりとすぐ検討してくれて、それを業界の自主基準に反映していってくれた。
「やれば変わる、やればできる」そう思えました。
まだまだやるべきことはたくさんあります。
たとえば海外の消費者団体からは、日本の“かわいい”アルコールCMをインターネットで見て驚いたという声が寄せられています。

 

2.ACムーブメント〔発生・進行・再発予防〕
――誌上での呼びかけとクラウディア・ブラック招聘

――2つ目のトピックは、ACムーブメントです。
誌上での呼びかけと、クラウディア・ブラック氏の来日はどのように? ゲストは、公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さんです。

AC概念との出会いは、アルコール依存症家庭で育った私自身の活動の原点です。
1985年に「季刊Be!」の前身「季刊アルコール・シンドローム」を創刊し、編集長を務めてきましたが、ACは常に取り組んできたテーマでした。
その始まりが、12号(1988年)の「依存症の親をもつ子どもたち」の特集。このときに、現在はBe!副編集長である武田が編集に加わりました。16号(1990年)では、「ACと世代連鎖」を特集しています。
90年代、誌上で「ACグループをつくろう」と呼びかけ、各地から声が届きました。その中に援助職の方たちがいて、ACとして自身を語る「援助職でAC」シリーズがスタートします。これは、54号(1999年)から98号(2010年)まで、11年も続きました。

日本のACムーブメントは、クラウディア・ブラック氏によるところが大きいです。
1989年に開催された東京都精神医学総合研究所主催の国際シンポジウムで初来日され、その年に『私は親のようにならない』の訳本が誠信書房から出版されています。信田さんも、訳者のお一人です。
クラウディアご自身がアルコール依存症家庭のACですので、実感に満ちた内容です。依存症家庭のルール「しゃべるな、信じるな、感じるな」はまさに、ですよね。
そのシンポジウムで、彼女が会場に「自分をACと思う人はいますか」と語りかけると、参加者のほとんどは支援者だったのですが、非常に多くの手が挙がりました。
ASKは、15周年の総会のときに著書を訳してクラウディアを招きました。20周年にはベストセラーになった訳書「子どもを生きれば おとなになれる」を発行。講演会やワークショップには希望者が殺到しました。

――そのクラウディアさんから、ASKにお祝いのメッセージが届いています。

 

クラウディア・ブラック 氏

アメリカのソーシャルワーカー、社会心理学博士、AC概念の生みの親

親愛なるASKの友人のみなさん、こんにちは!
依存症とその影響に苦しむ、数多くの当事者・家族の人生を変えるために、献身的に活動を続けてきたASKの40年の歴史にお祝いを申し上げます。
あなた方の使命に貢献できたことは、私にとって名誉なことです。ASKで過ごした時間は、私のキャリアの中で最も思い出深いものになっています。
私は、皆さんのリーダーシップに刺激を受けています。あなたたちは私の大切な友人です。
心をこめて。

 

うれしいですね。
以下に、これまでBe!で扱ってきたテーマをまとめました。その中心にACがいます。
信田さんは折々に誌面に登場してくださいました。つい最近の150号152号にも。これからもどうぞよろしく願いします。

季刊Be!や出版物については、アスク・ヒューマン・ケアのサイトをご覧ください。
https://www.a-h-c.jp/

 

信田さよ子 氏

公認心理師・臨床心理士 原宿カウンセリングセンター顧問

 

季刊『Be!』の前身『アルコール・シンドローム』を書店で初めて目にしたのは、原宿相談室に勤め始めたころでした。
医療ではない場から、社会の視点を持ってアディクション問題に取り組む。
あの頃からずっと、ASKの活動に仲間意識を持っています。
私は1989年にクラウディア・ブラックの『私は親のようにならない』の翻訳に関わったのですが、その内容でびっくりしたのが、援助者の中に親のアルコール問題に苦しんだ人がいかに多くいるか、です。子ども時代は親のケアに一生懸命で、そのまま大人になって、援助を仕事にするのです。
その後、ACがブームになり、アルコールを離れて広がっていきました。
ひとつはトラウマ・虐待の方向へ。さらに最近では「ヤングケアラー」概念が注目されています。
いずれにせよ、原点はACです。

 

3.妊娠中の飲酒のリスク〔発生予防〕
――国際シンポが流れを変えた!

――3つ目のトピックは、妊娠中の飲酒のリスクです。流れを変えた国際シンポとは?
ゲストは、久里浜医療センター名誉院長の樋口進さんです。

妊娠中の飲酒の害が知られていなかった2000年代初め、妊婦の飲酒率は18%もありました。
母子健康手帳の記述は「お酒はひかえましょう」でしたし、少しなら飲んでいいと書いてあるマタニティブックも数多くありました。
妊娠中の飲酒のリスクを伝えるために、海外の専門家を呼んで国際シンポジウムをやりたいと、樋口進先生にご相談したところ、アメリカ連邦政府のFAS諮問委員会委員長を務めるエドワード・ライリー博士を紹介してくださいました。
実行委員長は、厚労省で局長を歴任され、当時は国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)の院長だった小林秀資先生にお願いしました。小林先生は、「産婦人科学会と小児科学会からシンポジストを出してもらいなさい」と、すぐに連絡を取ってくださり、厚労省の母子健康課にも協力を呼びかけてくださいました。
私は、各酒類メーカーや組合のアルコール関連問題担当者に個別に連絡し、参加を呼びかけました。
こうして実現したシンポジウムで、樋口先生に共同司会をお願いしました。

会場には、児童養護施設でFAS(胎児性アルコール症候群)をもつ子どもたちの養育に苦労していた職員、依存症の妊婦さんに対応している保健師さんも参加していました。フロアからの発言に厳しい現実が見えました。
そして、産婦人科医の「絶対ダメというと、飲んだからと中絶すると言う妊婦が増える」との危機感に、予防の難しさを痛感しました。
終了後、編集の武田と、「予防のメッセージ」の文案に知恵を絞りました。
「どのくらいの量なら大丈夫という目安は現時点ではわかっていませんし、個人差が大きいので、安全のため妊娠中はアルコール類を飲まないようにしましょう」という表現に、産婦人科学会が了承。
翌年、このメッセージと報告書に要望書を付けて、関係機関を回りました。

報告書は、ASKのサイトからダウンロードできます。
https://www.ask.or.jp/article/623

シンポジウムには酒類業界から多くの参加があり、その人たちが業界を動かしてくれて、翌年には容器への警告表示が実現しました。その後、テレビCMやポスターにも記載されることになります。
法的な規制ではなく自主規制で妊産婦向け警告表示が実現した国は、日本くらいかもしれません。

母子健康手帳の表記も、「控えましょう」から「やめましょう」に変化していきました。
こうして、若い女性の飲酒率が伸びている時代に、妊婦の飲酒率が急激に下がったのです。

ライリー博士には、その後もお世話になりました。
基本法の制定時には、超党派議員連盟での講演のため、来日してくださいました。
ライリー博士の紹介で、2014年から、ASKは主婦連と一緒にFASD(胎児性アルコールスペクトラム障害)啓発の国際ネットワークに入っています。
また、2018年には、久里浜主催で国際シンポが開催され、ASKも共催にしていただきました。
日本は1次予防では効果を上げていますが、その一方でFASD の調査が行なわれていません。おそらく発達障害の中に埋もれている状態で、実態はつかめておらず臨床も支援もない。2次予防・3次予防は今後の大きな課題です。

1次予防で、ASKがもう1つ実現したいのは、一目でわかる、オーストラリアのようなマークです。引き続き働きかけていきます。

     

 

樋口進 氏

精神科医 久里浜医療センター名誉院長

 

私は今まで、いろいろな学会でシンポジウムをやってきましたが、これだけのインパクトを残したものはめったにありません。
ASKは1回のシンポジウムを余すことなく活用して、産科医の禁酒指導、母子健康手帳の記載の変更、酒類容器やCMへの警告表示という動きを引き出し、その結果、妊婦の飲酒率が激減した。すごいことだと思います。

 

4.イッキ飲み・アルハラ防止〔発生予防〕
――遺族とともに訴える

――4つ目のトピックは、イッキ飲み・アルハラ防止。遺族とともに訴える、です。
イッキ飲み防止連絡協議会の代表、村田陽子さんからメッセージをいただいていますので、後ほどご紹介します。

1980年代にブームになったイッキ飲みが大学生の間に定着し、多くの若者が急性アルコール中毒で亡くなりました。
1991年、中央大学1年生だった加來聡さんが、スキー部の合宿でウイスキーのイッキ飲みをさせられて死亡。ある新聞投書をきっかけに、聡さんのお父さま、加來仁さんとの出会いがありました。
加來さんは1992年にイッキ飲み防止連絡協議会を立ち上げ、ASKが事務局を委託されました。
こうして、大学向けキャンペーンが1993年にスタートします。

 

キャンペーンを進めるうち、死者が出ると、学生たちは決まって「イッキはしていない」と言うようになりました。実際にはコールをかけていても、イッキと言っていないからイッキ飲みではないと言うのです。
そこで生み出したのが、アルコール・ハラスメント(アルハラ)という概念です。名付けたのは、はみ出し自販機で成果を上げた浅野弁護士で、熊本大学医学部のイッキ飲ませ訴訟も担当しました。

歴代のキャンペーンポスターです。キャンペーンでは、2000年からアルハラを打ち出しました。デザインの担当はサンアドで、コピーライターの大友美有紀さんは30年一緒に知恵を絞ってくださっています。

 

このグラフは、イッキ飲み防止連絡協議会がつかんでいる死者数の推移です。
東日本大震災で飲み会は自粛になりました。その翌年に7人の死者を出してしまった苦い記憶があります。

震災の翌年に亡くなったのが、現在のイッキ飲み防止連絡協議会代表、村田陽子さんのご子息、英貴さんです。村田さんからメッセージをいただきました。

 

村田陽子 氏

イッキ飲み防止連絡協議会 代表

 

村田英貴の母、村田陽子です。
コロナが五類となってマスクも自己判断となり、世の中的には落ち着いてきているとは思いますが、私は心配しています。今の世の中の感じが、英貴の亡くなった年に似ています。
英貴は、震災の翌年に大学に入学しました。テニスサークルへ入り、そのサークルは飲みサークルだったので、抑圧からの解放感からか弾けたように飲み会ばかり。それもとことんまで飲んでヘロヘロで帰宅。20歳を過ぎてすぐには、救急搬送されました。最後は、春合宿の打ち上げで、アルハラ、イッキ飲ませで命を落としました。
大学1年生のみなさん、どうか、飲めないお酒を、周りの雰囲気を壊すからなんてことで飲まないでくださいね。命あってこそです。お酒を無理矢理飲ます先輩や上級生から逃げて。何を言われても命を守ることを最優先に。
コロナ禍3年、あまりお酒の飲み方を知らない上級生が下級生にアルハラしてほしくないです。お酒の飲み方を知ってる人より、知らない人が飲ませることは怖いです。
一人でも多くの方がアルハラに遭いませんようにと願っております。

 

コロナ禍に、こんな問題も起きています。
パーティー用に、イッキ飲ませのすごろく付きリキュールパックが発売され、人気を博したのです。有名なYouTuberたちが続々実演動画をUPして、視聴回数が総計2000万回を超えました。
販売元の輸入酒業者に抗議して、一応発売中止にはなりましたが、YouTube映像はそのままです。
村田さんが危惧されているように、コロナの規制が解除された今、危ない状況にあります。

 

イッキ飲み防止連絡協議会のキャンペーンサイトはこちらです。
https://www.noikki.jp/

 

5.飲酒運転防止〔発生・進行・再発予防〕
――背景にある飲酒習慣を変える活動

――5つ目のトピックは、飲酒運転防止です。背景にある飲酒習慣を変える活動とは?
ゲストは、元JRバス関東会長、飲酒運転防止インストラクター・スーパーバイザーの山村陽一さんです。

ASKの飲酒運転対策は、ずばり、「飲酒運転につながる飲酒習慣を変える!」です。
多量飲酒の人は、節酒へ。依存症になっている場合は断酒へ。でもこれは、簡単ではありません。

2003年、大きな出会いがありました。
この年、JRバス関東で高速バスの飲酒運転があり、依存症の疑いが濃厚だったため、ASKから依存症を視野に入れた総合対策を同社に申し入れました。すると驚いたことに、当時会長だった山村陽一さん自ら、ASK事務所にみえたのです。
その後、引責辞任された山村さんにお会いし、「一緒にやりましょう」と、飲酒運転対策特別委員会の委員長をお願いしました。

2006年、福岡で3児死亡事故が起きました。
私は、東名高速2児死亡事故の被害者遺族である井上郁美さんと、米国カリフォルニア州に行きました。飲酒運転法廷と、教育・治療を組み込んだ違反者対策を視察するためです。
2007年、内閣府の常習飲酒運転者対策推進会議で視察の報告をして、処罰だけでなく、教育・治療が必要と訴えました。
この会議で、省庁を横断する総合的な対策が決定します。警察庁の飲酒違反者講習や、刑務所での依存症プログラムがここから動き出します。
関係省庁が一堂に会すと物事が進むという成功体験は、私の中で後の基本法制定へのモチベーションになりました。

 

2008年、ASKは日本損害保険協会の助成を受け、飲酒運転防止インストラクター養成講座を開始します。
損保協会には山村さんがつないでくださいました。
ASKは常習飲酒運転者対策推進会議の関係省庁に後援を依頼。山村さんは、日本バス協会をはじめとする関連団体を訪問して、協力を要請します。
山村さんの全国行脚のおかげで、全国に約6000人のインストラクターが誕生。コロナ禍以降はオンラインを活用しています。

バス会社から始まったアルコールチェックは、自動車運送業者全体に義務化され、さまざまな事故や不祥事を経て、航空、鉄道、船舶、ついに白ナンバー事業者にも広がりました。
検知器の活用はたしかに効果的です。でもそれだけでは飲酒運転は防げません。
飲酒習慣がそのままだと、検知のすり抜けや見逃しなど不正が起きてしまいます。
職場や地域にアルコールの正しい知識を伝え、飲酒習慣を変えるサポートをする、インストラクターの役割はここにあります。

飲酒運転防止インストラクター養成講座についてはこちら。
https://ddd.ask.or.jp/

 

飲酒運転の中にはアルコール依存症が疑われる事例が多くあります。飲酒運転防止のためにも、依存症についての認識普及、早期発見・介入・回復支援は欠かせません。
ASKでは、依存症回復者であるインストラクターたちの協力によって、これを進めて行きたいと思っています。

今年2023年4月には、その第1弾として、飲酒運転被害者ご遺族の寄付で、オンライン・スペシャルトークイベント「アルコール依存症と飲酒運転」を開催しました。
https://www.ask.or.jp/40th/

 

山村陽一 氏

ASK飲酒運転防止インストラクター・スーパーバイザー
元・JRバス関東株式会社会長

 

2003年、JRバス関東の運転手が高速バスを飲酒運転する事件が起きました。
その直後、ASKから「バス運転者の飲酒運転を防ぐ総合的なアルコール対策を求める要望書」が届きました。当時、会長を務めていた私は、このラブレター(要望書)を書いた人に会いに行こうと思いました。
それまで厳罰化やプロ意識の強調だけで、アルコール教育を何もしてこなかったし、第一、自分もガブガブ飲んでいた。これじゃあいけないと反省して、ASKで勉強しました。
講演などの活動を開始し、飲酒運転を防ぐには教育が必要だと話しました。
しかし2006年に福岡で3児死亡事故が起きます。そこで気づいたのです。いくら教育が必要だといっても、それをやる人材が、どこにもいなかったことに。
2008年に、ASK飲酒運転防止インストラクター養成講座が始まり、私は毎年スクーリングのため全国を回りました。現在6000人を養成し、画期的な一歩を踏み出すことができました。

 

6.アルコール健康障害対策基本法〔発生・進行・再発予防〕
――立場を超えた連携の力!

――6つ目のトピックは、アルコール健康障害対策基本法です。立場を超えた連携の力とは?
ゲストは再び、樋口進さんです。

発端は、2010年にWHOが採択した「アルコールの有害な使用を低減するための世界戦略」でした。
この世界戦略を受け、三重県の専門医・猪野亜朗先生から電話がかかってきました。
「議員立法で、基本法を制定しよう!」

 

法律をつくるなんて、とてもムリだと私は思いました。でも、猪野先生は「動けば何かは残る、ダメ元でやろう」と引きません。根負けして、ともかく、やってみようということになりました。
それにはまず、世界戦略の中身を知らなければいけません。
厚労省に問い合わせたら、翻訳する予定はないとの返事。まず、有志で翻訳に取りかかりました。
全断連から、超党派アルコール問題議員連盟に打診、協力の約束をとりつけたと報告がありました。この議連は、全国の断酒会がコツコツと地元の議員に働きかけて1999年に発足したのですが、当時は休眠状態にありました。
学会と民間団体、要望する側が一枚岩にならなければと協議していた2011年春、東日本大震災が起きました。約1年のブランクを経て、翌2012年春、アル法ネット結成にこぎつけ、ASKが事務局を引き受けました。
けれど、議連と基本法の骨子案のやりとりをしていた最中の11月に、政権交代。その前から国会は大荒れで、先が見えない状況でした。ただその中で、超党派議連がまったく揺るがなかったのがありがたかったです。党を超えての結束でした。
「今、私たちにできるのは、賛同議員と賛同団体を増やすこと」
みんなが今自分にできることを必死にやりました。動きながら日々、メーリングリストや電話で情報交換しました。

広島の断酒会から、県議会が国に意見書を出してくれることになったとの情報が入りました。
そんな方法があるのを初めて知りました。これをモデルに各地で議会に働きかけたところ、11道県1市で実現しました。
このとき初めて私は、「風が吹いている。基本法できるかも」と思いました。

2013年に、猪野先生がまた、「基本法制定を願う集い」の全国リレーをやろうと言い出しました。
まず名古屋で集いを開催。猪野先生は、そのときに会場で寄付を集め、次回開催地に渡すやり方を編み出しました。寄付を渡された大阪は燃えました。会場でさらに寄付を集めて岡山に送ります。その岡山での集いの前日に基本法が成立しました。
その後も集いのリレーは続き、2014年5月の東京大会には全都道府県から1150人が参加しました。基本法施行の直前で、関係省庁がずらり並んだシンポジウムは壮観。司会は樋口先生と私でした。

これが、基本法成立の瞬間です。真夜中。反対ゼロ。感無量でした。
翌日、岡山での集いに来てくださった議員が口々に、「形はできた。魂を入れるのはこれから」とおっしゃっていたのを覚えています。「え、終わりじゃないの?!」と思いました。

2014年6月に基本法が施行、11月に初めての啓発週間が実施されました。

内閣府がアルコール健康障害対策関係者会議を招集し、樋口先生が会長に。私も委員として参加しました。
第1期基本計画は、26回の討議が行なわれました(本会議14回、ワーキンググループ3×4回)。
その後、厚労省に事務局が移り、第2期基本計画は9回の討議を経て策定。
これだけの回数やるのは、めずらしいと思います。非常に熱心で勢いがある会議です。

 

一方、国の基本計画と違い、都道府県の推進計画は「努力義務」なので不安がありました。内閣府の参事官に尋ねると、「半分できたら、あとの半分はやるのが日本ですよ」との回答でした。
みんなが頑張って地元に働きかけました。
一番手は鳥取県。断酒会員の県議がいて、議会での体験談に知事が動き、国より早い策定でした。これで弾みがつき、2017年度には半数超え。2020年度についに全国制覇です。
この勢いにブレーキをかけたのが、コロナ禍です。国でも都道府県でも関係者会議が開催できず、メールによる持ち回り会議が増えてしまいました。現在、第2期の策定に入っている自治体が多いので、一刻も早く、以前の連携体制を取り戻さなければなりません。

 

アル法ネットについてはこちらをご覧ください。国の基本計画や都道府県の計画についての情報を随時更新しています。
https://alhonet.jp/

ASKのサイトにも、基本法のコーナーがあります。
https://www.ask.or.jp/article/177

 

樋口進 氏

精神科医 久里浜医療センター名誉院長

 

関係者会議というのは省庁の審議会に該当します。
審議会といえば、省庁の担当者が原案を作って、委員がそれをいくらか修正するといったイメージですが、アルコールの関係者会議では委員が先頭に立っていました。
今までいろいろな会議をやってきましたが、アルコールの関係者会議の活発さは、他と比べることができない。皆さんの熱心な参加には本当に頭が下がる思いです。いい経験をさせていただきました。

さて、こうやって策定した基本計画ですが、現在、コロナ対策のため依存症対策が手薄になっています。国レベルでも、都道府県レベルでも、策定した計画がどれだけ実施されているか、モニターしていく必要があると思います。

 

7.オール依存症で当事者・家族・支援者のコミュニティづくり
――回復を応援する社会へ〔発生・進行・再発予防〕

――長い旅を終え、現在に近づいています。7つ目のトピックは、オール依存症で当事者・家族・支援者のコミュニティづくり、回復を応援する社会へ、です。
まず、ギャンブル依存症問題を考える会 代表・田中紀子さんのメッセージ動画をどうぞ。

 

このセクションは、司会の塚本さんとのやりとりで進めます。
今、りこさん(田中紀子さん)が話していたのは、この流れです。
2015年に、18歳成人に伴い、アルコール・タバコ・ギャンブルも年齢を下げるという動きが自民党内で起き、連携をスタート。2016年には、薬物も加わって、「依存症問題の正しい報道を求めるネットワーク」を結成しました。このきっかけになったのが高知東生さんの逮捕。あまりにも報道がひどかったので、荻上チキさんの協力を得て「薬物報道ガイドライン」を作ったのです。
これを知って、塚本さんからりこさんに連絡したのですよね。

――2016年に私(塚本)が逮捕されてNHKを懲戒解雇に。高知さんの逮捕はそのあとでした。荻上チキさんのラジオ番組のホームページで、たまたま薬物報道ガイドラインを目にすることができて、「この人たちだったら、助けてくれる」と思って……

連絡をくれて本当によかったです。あのとき報道ガイドラインを作っていなければ、塚本さんと会っていなかったかもしれない。出会いの連鎖はすごい。りこさんと連携を開始していて、本当によかった。

ASKはこうした流れの中で、2017年に定款を改定。依存症関連問題に活動を広げています。
そして、アルコール・薬物・ギャンブルの家族連携で、厚労省に家族支援の強化を要望しました。
2018年に厚労省に依存症対策推進室ができ、啓発事業が始まったとき、企画委員に家族が入ったのはその流れです。
厚労省の依存症民間団体への補助金も、2018年に始まりました。
この年、ギャンブル等依存症対策基本法も成立しています。2018年はまさに転換点ですね。

 

その2018年、ASKでは厚労省の補助金と、新生会病院の和気隆三先生の寄付を活用させていただいて、長年温めていた構想、「依存症予防教育アドバイザー養成事業」をスタートさせます。まさに、オール依存症企画です。塚本さんも第1期のメンバーですよね。

――はい。アドバイザーには当事者もいれば家族もいれば支援者もいる。それがみんな平場で、上下関係なしに横につながる、というのが特徴ですね。長年温めていた構想というのは?

2006年にアメリカに飲酒運転の視察に行ったとき、資格をとった当事者や家族が、違反者教育の主役を担っているのを見ました。教科書的ではなく、自分の体験を混ぜながら話すのがすごい説得力で、これを日本でやりたいと思いました。
すでにASKの中でいろんな依存症との連携が生まれていたので、オール依存症でいこう、と。
さらに、いろんな分野の支援者が組んで活動してくれることによって、広がっていくのではないかと考え、今の形になりました。支援者の中にも、当事者や家族、ACの立場の人たちもたくさんいますしね。

そこにコロナです。
2020年4月、自助グループが開けなくなり、アドバイザーからオンラインでやろうと声があがります。依存症オンラインルームの始まりです。ルームは自主運営、ASKはZoomの提供と広報を担当。
やってみたら、コロナでなくても意味のあるものだった。オンラインはどこからでも集えるし、離島とか、自助グループがない地域からも、子育て中とか外出がむずかしい状況でも参加できる。ちょっと調子が悪いから、今日は寝ながら聴くだけ参加、というのもありなわけです。

――リアルの自助グループへの橋渡しも行なわれていますね。リアルもオンラインも両方使えればいいじゃないかということです。今、依存症オンラインルームには、アルコール、薬物、ギャンブル、ネット・ゲーがあり、連携ルームとして摂食障害、クレプトマニア、ACがあります。

そして、オール依存症でオンラインフォーラムをやろうということになったのですよね。
ルームが連携して、オンラインで体験をリレー。コロナがなければ考えもつかなかったことでした。

――昨年は、開始すぐ、参加者が定員500名に達しましたね。

依存症予防教育アドバイザーについては特設サイトがあります。依存症オンラインルームやフォーラムの情報もこちらをどうぞ。
https://www.ask.or.jp/adviser/index.html

 

――最後にお見せするのは、厚労省の啓発事業の中で生まれた、依存症からの回復を応援するアウェアネスシンボルマーク、バタフライハートです。

アディクションの反対はコネクション、つながり。バタフライハートはまさにその象徴です。
コンセプトムービーもできました。蝶がつながると、どんどんハートが生まれていきます。
蝶には復活という意味もあります。
実は、デザイナーの佐藤卓さんは東京芸大の同級生なんです。親しい先輩がアルコール依存症で亡くなったそうで、思いを込めてデザインしてくれました。
バタフライハートは、厚労省のサイトで、データをもらうことができます。広めていきましょう。
https://izonsho.mhlw.go.jp/topics_symbolmark.html

こうして振り返ると、ASKの40年はまさに出会いとつながりの歴史でした。
私たちの出会いのほとんどは、依存症や関連問題によるつらい出来事や経験を背景にしています。でも、だからこそ、思いは熱くつながりは深い。
活動していると、ある日思いがけず風が吹き、社会が転換するポイントがあります。
ときに悲惨な事故がそのきっかけになることも……悲しいし悔しいです。でも失われた命を生かすためにも、私たちは活動し社会を変えていかなければいけない。
これからも、一緒にやっていきましょう。

 

当日の録画動画より。代表の今成知美(左)と、理事の塚本堅一(右)。