建設会社のトラック運転手をしていた頃に、酒を覚えました。
29歳で転職しバス運転手になりましたが、シフト勤務になじむのが大変でした。早番のときは朝4時半に起きなければなりません。「もう9時だ、寝なければ」と思っても、なかなか寝つけず、酒をひっかけて眠りました。しかし夜中に目覚めてしまうことがよくあり、しかたないのでもう一杯飲んで寝るというふうになって、酒量が増えていきました。おまけに早番だと昼には勤務が終わるので、時間をもてあました運転手同士、昼間から酒を飲むことがその当時はよくありました。すっかり出来上がって帰宅し、夜になればまた飲んで寝るのです。
アルコール検知器が導入されていない時代でしたが、かなり飲んだ翌朝は、酒臭いのが自分でもわかるので、点呼時に周囲に気取られないように気を遣いました。そういう日は、運転にはとりわけ気をつけたのですが、今思えば、坂道発進で下がってしまうことがよくありました。アルコールで神経が鈍っていたせいでしょう。ガードレールや電柱で車体をこすったこともありました。人身事故を起こさなかったのは、本当に運がよかったと思います。
40歳を過ぎた頃には、酒の問題を隠すためにかなりのエネルギーを費やすようになっていました。自分でもまずいと思い節酒するのですが、続かないのです。さすがに、所長から酒を控えるよう注意され、始末書も何度か書きました。45歳以降は、毎年のように肝炎で内科に入院しました。そんな中、家族が所長に呼ばれ、「酒をやめるか、会社をやめるかのどちらかにしてほしい」と言い渡されました。保健所で専門病院を紹介してもらって、入院となりました。
入院当初は「俺がアル中なものか!」と、会社や家族に対する怒りがおさまりませんでした。しかし、AA(※)に出ているうちに、自分と同じような体験を次々に耳にし、やはり同じ病気なんだと認めるようになりました。
職場復帰するときには、自分がアルコール依存症だということを同僚たちにも話しました。3ヵ月は毎晩自助グループに行くと決めていた私のために、同僚が夜のシフトを代わってくれたり、会合では「こいつは酒やめてるから、ウーロン茶を」と言ってくれたり、協力がありがたかったです。その後は通常のシフトに戻りましたが、今も週2回の自助グループ通いを欠かしません。
夜、自助グループから帰ると、バタンキューで眠れるのです。運転手という職業は、神経は使いますが体は使いません。自助グループに行くために足を使い、また心のつかえを話してすっきりできるのがよかったようです。体が適度に疲れ、心が落ち着けば、酒がなくても眠れるのだとわかりました。何よりも、ビクビクする必要がなくなり、どれだけ楽になったか知れません。
断酒して10年が過ぎました。休みや早番で時間に余裕がある日には草花いじりをする、健康的で平穏な暮らしです。あのとき、私に最後のチャンスをくれた所長に、心から感謝しています。
アルコール依存症の自助グループ。アメリカで始まり世界に広がった、日本でも全国各地でミーティングが行なわれている。
原則として依存症者本人だけのクローズドだが、本人以外も参加できる「オープン・ミーティング」もある。
AA(アルコホーリクス・アノニマス)
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