同志社大学グリーンテニス同好会新入生歓迎コンパでの死亡事件と提訴
息子・山口倫弘(ともひろ)。大阪府出身、同志社大学1回生(19歳・当時)。1995年5月13日、同志社大学グリーンテニス同好会の新入生歓迎コンパで飲まされたうえ、「伝統」の川入り(鴨川)を強要されて死亡しました。
そのいきさつを記します。
事件の経過
1995年5月13日、同志社大学グリーンテニスサークルの新入生歓迎コンパで、出席者90人弱で280本のビールとお銚子8本が出され、1回生が飲酒を強要されました。
そのあと、2日間の大雨で増水し流れが急な鴨川の河原へ全員で行き、恒例行事となっている川入りを強要されました。川入りの雰囲気の中、息子は本流の方より呼ばれましたが、入水を拒否し川縁に座っていました。すると盛り上がった別のグループ4名に取り囲まれて立たされ、「山口コール」や手をたたくなどしてはやしたてられました。息子は2、3回その場を立ち去ろうとしたのに、押し戻されました。2回生に胸をつかまれた状態で鴨川の斜面に立たされた息子は、数回上に上がろうとしましたが、3人が立ちはだかりました。このとき、流すのが目的の彼らは誰一人として、手が届くのに助けてくれませんでした。
息子の胸をつかんでいた2回生が足を滑らせ、引っ張られた息子は川に落とされました。2回生は直下に落ち、頭が上流に向いた状態で流され、自力で立ち上がったのですが、息子は引っ張られたため中央に落ち、頭が下流に向いた状態で2段の段差を転がるように流されました。当日の鴨川の水位と川底の状態からして、頭が下流に向いた状態では自力で立ち上がれないのです。(父親が鴨川に入り、息子の流された経路を調査しました)
はやしたてた4人のうちのリーダー格のひとりは、1段目を流れ落ちている息子を尻目にトイレに行きました。サークルには90名弱(半分が女子)の人がいるのに、25mほど流されたところで救助に入ったのは3名だけでした。当日の鴨川は、流れは速くても水位は60cm程度で、深みは限られた場所にしかなく、深みで溺れるまでに流れが速いため通過してしまうのです。鴨川を熟知した先輩が多数いたのに、鴨川で死ぬことはないという先入観と、服が濡れるのがいやなために、たった3名しか救助に入ってもらえませんでした。
救助に入っていただいた3名は、自力で岸に上がりました。
例年なら足首程度の水位しかない鴨川ですが、この年は前日、前々日と大雨洪水警報と増水注意報がでており、年に1度あるかないかの大雨で、増水していました。流れが速く、2km流されてレスキュー隊により引き上げられました。
死因は心不全の溺死。
鴨川をよく知っている検体医は「プンプン酒のにおいがしていた。溺死ではあるが、飲酒して水に入ったための心不全による死亡、飲酒していなければ助かったでしょう。あまりにも救助に入った人数が少なすぎる」とおっしゃいました。
学生9名を1996年9月13日付で提訴
4回生 1名(元部長)/3回生 4名(部長1名、副部長3名)/ 2回生 3名 /1回生 1名
提訴理由
新入生歓迎コンパで1回生男子19名のうち6名までもが酔いつぶれ、そのうえ元部長はコンパ会場で「鴨川が増水しているようですが、まあ流されてください」と発言し、河原では新入生に川入りをあおっていました。
恒例行事だからと、「もうぼくは無理です」というほど飲ませたうえに、その場の状況判断もせず、一目で危険とわかる増水した鴨川への入水を強要しました。当時4回生が新入生の時、息子の事件当日ほどは増水していなかった鴨川で流されたことがありました。そのときは無事救助されましたが、この事故が教訓として生かされることなく、恒例行事として川入りは引き継がれました。
上回生達には、酔った勢いとその場の盛り上がりやノリだけで尊い命を奪った集団心理の無謀に対し、各自の責任の所在を明らかにしていただきたいのです。息子は中学・高校と6年間テニスクラブで頑張ってきたので、縦の関係は体で覚えており、グリーンテニスサークルにおいても先輩を尊敬し信頼して行動していたのに、無念です。
コンパ前夜も、飲酒後に水につかる危険性を息子と十分話し合い、「僕は水にはつからない」と話していたので、その息子が増水した急流で流されたということが理解できませんでした。
息子は水泳が苦手でした。川縁で斜面に立たされた時の息子の気持ち、人生を奪われた無念さを思うと、言葉もありません。
加害者の人権は手厚く守られ、息子の人権は無視されたままで、謝罪もなく誠意もみうけられません。事件の真実を知るため、責任の所在を明らかにして、このようなことが二度と繰り返されないようにするためにも、提訴しようと思いました。
和解成立
提訴から1年1ヵ月目の1997年10月15日、京都地裁において、学生全員が責任を認めて謝罪し、和解が成立しました。以下はその内容です。
1 被告らは、原告らに対し、本件解決金として、金500万円を支払う。
2 事故の責任を率直に認め心から謝罪する。増水した鴨川の状況で「その場が盛り上がればいい」という安易な気持ちで新入生をはやしたてることの危険性を認識すべきであったのに、酔いに任せ、学生コンパ特有の高揚感に駆られてかかる認識を欠いたことを認め深く反省する。
3 飲酒した際の危険性を同好会の内外に広く周知徹底するよう努め、今後このような事故が起こらないようあらゆる努力をする。
4 命日にはお参りする。
和解の意味
和解は成立しました。しかしスムーズに事が運んだわけではありません。
民事訴訟の場合、訴えた側が自ら加害者の責任を立証する必要があります。ところが学生たちは、「知りません」「忘れました」と、ご両親が丹念に調査した事実をことごとく否認しました。裁判の過程でその否認がひとつずつ崩されたことで、最後には全員が責任を認め謝罪する形となったのです。
学生たちは、裁判所という厳粛な場で、ご両親に会釈のひとつもしないばかりか、まるで大学にいるかのように談笑し、およそ誠実さがうかがえなかったということです。
「賠償額の500万円(注:学生9名の総額)は、命の重さを考えればあまりに無念ですし、今後の抑止力に欠けると思いました。けれど、ここで和解せずに争うとしたら、責任を問えるのは服をつかんで結果的に息子を流れに引きずり込んだ3人の学生だけ。私は、行事を強行した主催者や、無責任にはやしたてた者たちを含めて、関わった学生全員の責任を問いたかった」(父親の山口勝さん談)
この和解は、実際にはその場にいなかった学生(サークル副部長)にも、行事の企画者としての責任を追及した、民事裁判として初めての事例です。
(イッキ飲み防止連絡協議会事務局 記)