何故訴訟に踏み切ったのかーー私達の気持ち
(訴状に添えられたご両親の手紙)
私達の長男、拓郎は、念願の熊本大学医学部に入学し、希望に満ちあふれていました。もうすぐ自動車学校にも通うはずでした。夏休みには屋久島にキャンプに行く予定を立てていました。あの6月5日の漕艇部新入生歓迎コンパがなければ、そこで焼酎による「バトル」をやらされなければ、今も拓郎はここにいたはずなのです。しかしあの日、拓郎は医者になる夢を断ち切られただけでなく、生きていくことさえ唐突に奪われてしまいました。あんなに元気であった拓郎、忍耐強かった拓郎、誰からも愛されてきた拓郎がもうこの世に存在しないなんて、とても信じられません。あの日から、私達の大きな悲しみは日々深まるばかりです。誰に看取られることもなくたった一人で死に逝くときに、拓郎はどんな気持ちであったでしょうか。「喉に詰まったものが取れなくて苦しいよ」「誰かお父さん、お母さんを呼んでよ」「死ぬなんていやだよ」。そう思ったに違いないのです。拓郎の無念さ悔しさを思うと、不憫で不憫でしかたありません。 拓郎は、医者であり医学生である先輩のあなた方を信頼していました。飲まされて潰され、意識がなくなっていく中にあっても、先輩達がいるから大丈夫、ちゃんと介抱してくれるだろう、病院に連れて行ってもらえるだろう、家族にも連絡してくれるだろう……そう信じて疑わなかったに違いありません。介抱もしないのなら、店で潰れたままにしてくれた方がよかった。見ず知らずの人が救急車を呼んでくれて、救命医療を受けることができたはずです。
私達は、拓郎が自宅を出てから死に至るまでの経緯を知りたいと願いました。漕艇部の部長である山本教授に何度も何度もお話しいただくようお願いしましたが、その希望は受け入れられませんでした。それどころか、私達にはまったく知らせずに早々に除籍手続きを済ませていたことなど、息子の死を早く忘れ去ろうという言動や事実のねじ曲げを次々と目の当たりにして、愕然とし、深く傷つきました。私達は、悲しみに押し潰されながらも、自分達で学生一人一人に聞くしかないと決心しました。幾晩も幾晩もかかって、述べ47名の学生らに、一人2~3時間、長い人で4時間半もかけて話を聞きました。その中で、あまりにもやりきれない真相が少しずつわかってきました。 訴訟という私達の行動は、あなた方にとって衝撃だと思いますが、何故に私達がこの行動をとるのかを考えてほしいのです。医学を志す学生であり、医師であり、教育者であるあなた方に対し、一人の人間の命を奪った責任に向き合う勇気と誠意を求めます。
吉 田 安 幸
吉 田 絹 代