依存症当事者からの「回復のメッセージ」
依存症は理解しにくい病気です。
意志が弱い、だらしない、死ななきゃ治らないなど、誤解や偏見が社会に根深く残っています。
これが早期発見や相談、回復と社会復帰を阻害します。
社会の認識を変えていくためには、「正しい知識」と「回復の実感」の両方を伝えていく必要があるとASKは考えています。
これは、依存症予防教育アドバイザーの大事な役割です。
「回復の実感」は、人生のストーリーを通して感じとっていただくのが一番です。
そこで、さまざまな依存症の当事者であるアドバイザーたちに、自身の体験を語っていただきました。
背景に何があったのか、何に苦しんでいたのか、回復のきっかけ、今思うこと…。
一般啓発、教育、回復支援、家族支援、支援者研修など多くの場面でご活用ください。
【アルコール】 【薬物】 【ネット・ゲーム】 【ギャンブル】
回復へのメッセージ #01 藤原尚
シラフで感情が出せなかった
幼い頃から、喜怒哀楽や自分の気持ちを人に伝えることが苦手だったと振り返る、藤原尚さん。初めてアルコールを飲んだのは、大学生の頃でした。新入生歓迎コンパの席で、沢山飲んでも潰れなかったことを先輩たちに褒められます。酒に強いことは自分の得意分野だと信じ、社会人になってからも飲み続けました。酒はバディ(相棒)。普段言えないことも、酒を飲むと怖くなくなり言えるようになる…しかし、次第に酒乱傾向が現れます。周囲の人が離れていく中でも酒はやめられませんでした。何度もスリップ(再飲酒)を繰り返しましたが、断酒会につながり依存症から回復の道を歩き始めます。
現在は、精神保健福祉士・社会福祉士の資格を取得し、ソーシャルワーカーとして医療機関に勤務しています。
回復へのメッセージ #02 上堂薗順代
苦しくても酒を飲み続けた…
幼い頃、父親からの虐待を受けていた上堂薗順代さん。アルコールを飲むことで、自分のつらい感情にフタをすることを覚えます。飲酒の問題が現れた20代の当時、若い女性がアルコール依存症になるという知識はありませんでした。内科の診療で身体を治しては、スリップ(再飲酒)して再入院という生活を何年も繰り返しますが、根本的な解決には至りません。断酒会への参加や、信頼できるソーシャルワーカーとの出会いなどから、少しずつ依存症の回復に向かうことができました。
現在は、会社を経営しながら精神保健福祉士・社会福祉士の資格を取得し、女性のグループホームの開設に向けて奔走しています。
回復へのメッセージ #03 高知東生
逮捕から二年後がどん底だった
2016年に覚せい剤・大麻の所持で逮捕された高知東生さん。懲役2年執行猶予4年の判決を受けます。俳優というキャリア、家族…大事なものを失うリスクを冒してまで、違法薬物を使い続けたのはなぜなのか。逮捕後、マスコミから逃れるように引きこもっていた日々。でもその後、自助グループにつながり回復プログラムに取り組むことで、人生がまた動き出します。
現在は、YouTube「たかりこチャンネル」、講演やドラマ出演などを通して依存症啓発に努めているほか、自身をモデルにした小説『土竜』で作家としてもデビューしました。また、Twitterでの日々のつぶやきが人気を博しています。
たかりこチャンネル
https://www.youtube.com/@taka-rico
Twitter高知東生
https://twitter.com/noborutakachi
回復へのメッセージ #04 坂本拳
ゲーム課金がやめられずギャンブルへ
子どもの頃は、真面目な性格で、スポーツ少年だった坂本さん。学生時代にネットゲームにハマり、課金を繰り返すようになりました。学生にとって、10万、20万という金額は大金です。返済に困り、競馬や競艇など手軽なネットギャンブルで金を稼いで、ゲーム課金の返済に充てることを思いつきます。当然、うまくいかず、今度はギャンブルがやめられなくなって借金が膨らみ続けます。なんとか依存症の回復施設につながった坂本さんは、自分の生きづらさと向き合うプログラムに取り組み、現在はゲームがやめられない人たちの支援者として活動しています。
回復へのメッセージ #05 南重純
家族を巻き込んだアルコール問題
京都市内で居酒屋を経営していた南さんは、離婚後、家族と離れた寂しさからアルコールの量がどんどん増えていきました。飲む量を減らそうとしても、なかなか減らせない自分が情けなくなり、気持ちを紛らわせるために余計に飲んでしまう。年老いた両親は、南さんが飲酒運転事故を起こすことを恐れ、何度も酒量を注意しましたが、聞く耳を持ちませんでした。それでも南さんに寄り添ってくれた姉たちが、ある日「何度言ってもあんたは飲んでしまう。もう疲れた」と呟きます。「家族を精神的に巻き込んだ」と初めて実感した南さんは、ようやく依存症の専門病院につながりました。そこで出会ったのが、断酒会(自助グループ)の例会です。南さんも最初の頃は、馴染むことができませんでしたが、ある日自分の飲酒欲求を素直に話すことができ、徐々に変わっていきました。
定期的に集まり、現在抱えている問題や悩みなどを吐きだせる場として、依存症の回復に有効な自助グループ。今回、京都府断酒平安会左京支部の皆さんにご協力いただき、例会(ミーティング)の様子を一部ご紹介します。
回復へのメッセージ #06 池田文隆
止まらないギャンブル 苦しさから失踪
池田さんがギャンブルを始めたのは、18歳の時。大学に入ることだけが目標で、入学後は特にやりたいことを見つけられずに毎日を過ごしていた頃、友人に誘われてパチンコに行きました。最初は楽しく遊ぶぐらいの頻度でしたが、次第にパチンコで勝ってもそのお金を使ってまたパチンコをするようになっていきます。なんとか大学を卒業し、就職したものの、給料のほとんどをパチンコに使うほどハマっていきました。学生時代は手を出さなかった消費者金融への借金もしてしまいます。その後、結婚して子どもも産まれ、ギャンブルから一時的に離れることもできましたが、再びパチンコ通いが始まります。やめたいけどやめられない。誰にも助けを求めることができずに、苦しさから失踪してしまったことも。その後、依存症の回復施設につながり、自助グループや回復プログラムを使って、ギャンブルをしない生活を送れるようになりました。
回復へのメッセージ #07 宮本雄二
仕事を続けながら自助グループで回復
子どもの頃は勉強もスポーツも得意だった宮本さん。しかし、どんなに頑張っても父親から褒められたことはほとんどなく、人に認められたいという欲求がどんどん大きくなったと振り返ります。20歳の頃に友人と行ったパチンコで、初めて大当たりを経験。当たったことはもちろん、友人から褒められたことが快感だったそうです。あっという間にギャンブルにのめり込むようになり、社会人になると借金が膨らみ続けました。何度も隠していた借金が発覚し、家族からの信頼も失う中で、自助グループに繋がります。仕事を続けながら自助グループに通う選択をした宮本さん。最初は馴染むことができませんでしたが、仕事もバリバリこなしながら回復している仲間を見るうちに、自分もこの人たちのようになりたいと、回復プログラムに向き合う気持ちになっていきました。
回復へのメッセージ #08 風間暁
薬物をやめる理由ができた
幼い頃から母に虐待を受けて育った風間さんは、父親が飲酒運転で死亡事故を起こし、ある日突然、加害者家族になりました。学校でもいじめられ、母と二人で逃げるように引越し。転居先の学校で、初めて仲間を見つけます。同じように家庭に問題があって、家に帰るのがしんどい仲間たちでした。そこには、飲酒・喫煙・違法薬物がありました。その後、児童自立支援施設に入りましたが、薬物の使用は止まらず、死ぬつもりで処方薬と違法薬物を同時に大量摂取します。一命を取り留め、つながった先の病院で薬物依存症の診断を受けましたが、今度はアルコールを大量に飲むように。この頃、出会ったパートナーとの間に子どもを授かり、「子どもに影響を与えてはいけない」と、初めて薬物やアルコールをやめる理由ができたと振り返ります。